久々の写真展に行ってきました。
恵比寿の東京都写真美術館(TOP MUSEUM)で開催されていた、日本の新鋭作家展。
身体と土地、風景、 そしてその記憶との関わり合いについて、多様なアプローチで追求する作家5組6名の写真・映像表現が展示されていた。
グローバル化とボーダレス化のあり方が変容し続ける社会にあっても、歴史、風習、伝承など、それぞれの地域や土地特有の記憶は様々な形で遺り続け、そこには多様な価値観が存在します。しかしながら一方で、私たちの想いは、ときに風のような軽快さをもってあらゆる境界を越え、他者と向き合う方法を見出してくれます。居続けることと移動とを繰り返してきた人類の歴史の中で、今、私たちはどのように土地・風景と対話し、他者とどのように関わることができるでしょうか?
インターネットの発展と普及により、世界がボーダレスに数珠つなぎのようにつながるようになってきた。移動することでしか交わらなかった人々が、インターネットを通じて移動なくして繋がれるようになった。世界は昔の「世界」ではなく、様々な人流が交差する一つの大きな舞台になっているように感じる。
人々のタッチポイントが増えることにより、民族の壁であったり、言語や文化の壁を超えやすくなってきている。それにより、あたかも世界の人々が混ざり合いながら共生しているような印象が強くなっている。
今回の展示会では、土地の記憶、伝承や風習というものが、各地域ごと、各個体ごとに確固として存在し、時代を超えて縦に流れているということを感じた。
自分の中にも誰の中にでも伝承が生きていて、意識の外の世界で確実に人格を形成している。それは人と分かちあいたいけれど分かち合うことのできない唯一性を持ったものだ。その力はときに我々が思うよりも強く、独立した個としての身体を凌駕する。
現在の世界は横につながり、シームレスになろうとする時代的流れの中にある。その中で、人類としての共通項を探そうとする。
しかし、われわれ個々のパーソナリティというのは、先代から脈絡と継承されてきた民族的な文化的な風習的な要素を色濃く反映したものだ。グローバル時代だからといって、ミキサーでスムージーを作るようにそれらを乱暴に混ぜることはできない。もちろん時代の流れの中でゆるやかに混ざっていくのだが、価値観の多様性は支流として流れ続ける。巨視的な観点からみると、我々個々人は、一つの巨大なシステムの中の構成員にすぎないのかもしれないが、そのような視点だけでは人生が味気ない。共感も情緒も薄くなる。作品はそういうことを感じさせてくれた。
しっかり五感をつかい、共感し、思いを馳せたい。
展示としては、各アーティストごとの空間の使い方や、音、投影方法など工夫が凝らされていて、深みがあった。
アート、良い。
LOTUS 矢野