ヘッダー画像

ブログ

老いる(Aging) ということ|LOTUS DENTAL CLINIC 不動前|東急目黒線「不動前駅」の歯科

老いる(Aging) ということ

Agingの自覚

今日は、特に寒いですね。冷え込んできています。

起きてすぐは頭の動きが遅いですね。

アイドリング中の中古車のようです。

体も関節も、日々老いていくのを感じてます。

関節なんかも1日で硬くなるし、筋肉も1日でこわばったりします。

もちろん、仕事中の体勢もわりと無理をしているんですけど。

加齢という現象が、体中で起きている。

血液中をカレーが駆け巡っているわけです。

皮膚の感覚とかどんどん鈍くなってるというか、なんとなく体感がそう言っています。

30代にしてこのようなことを言うとお叱りを受けてしまうかもしれませんが、実感として「老い(Aging)」というものの存在を感じています。

大げさに言うと、日々死に向かっているということになります。

人生に残された時間がどんどん少なくなっていって、死に向かうカウントダウンが始まっていると。

なんて悲壮的な発想なんだと思う一方で、すべてが悲観的な話ではありません。

Aging. 40歳、50歳になると更にこのような実感がリアルな輪郭を持ちます。

 

35歳

35歳前後で、いろんなライフイベントが起こると言われています。

世間一般的に言うと、家を買ったり、近い人と死別したり。

その他いろんな大きな出来事が起こります。

いい出来事も悪い出来事もある程度凝縮して起こってきたりする。

キャリアや人生に関しても先が予測できるようになってくる。

キャリアを引退するまでの道のりの解像度がなんとなく上がってくる。

するとこれからどのように一日一日を過ごしていこうかと、少し真面目に考えたりするわけです。

私ももうすぐ37歳になりますけれども、あと何年全速力で走れるのかと言うと、わからないわけですね。

急に病気になったりとか、家庭で大きな問題が起きたりとか。

眼の前のことに打ち込んでるように、同じ熱量と風速で打ち込めなくなってくる可能性があります。
稼働力、機動力もつねに変わってきますので。

それは関節のように、隅々まで柔軟に動いていたところが、動きが鈍くなってきたり。

日々の変化は少ないとしても、長い尺度で見ていくと、例えば今年 できていたことが、来年できなくなってたりします。

 

Aging = 変化

10代、20代、30代、40代というもっと長い尺度で見ると、その変化は巨大です。

多感で感受性が豊かな10代、20代で感じた世界というものは、人生の時間が ものすごくゆっくりと流れていました。

原初的な感情や感覚が、濃度濃く存在していた。

10代、20代というのは、何をしても新しいことの連続で、毎日が長く、楽しくまた苦しかった。

 比較的あらゆることに集中していて、密度の高い身体反応と、加工されていない感覚が存在していました。

そのような時代に比べれば、私の近年の体感時間というものは短くなりつつある。

30代、40代の1日というのは、濃密なようで、タスクが多いようで、実は、時間だけが流れていってることがあります。

気づけば季節が一巡してしまっている。

ときに近年の世界的パンデミックを背景に、人との接点が限定され、季節を感じるイベントが制限されていたこともあり、

時間はとびきり早く流れてしまいました。

そして今後加速度的に短くなっていきます。

 

時間の密度=主観

例えば、交通事故で、 体の機能が一部障害を持ってしまって、他の人と同じように生活することはできない方。

あるいは病気などで、余命あと何ヶ月、何年というように宣告されてしまった方にとっては、この残された時間というものの概念が大きく変わったりします。日々を大切にする姿勢、感謝の思い、そしていかに毎日生きていくかっていうことに対して、真剣に向き合わざるを得ないわけです。なぜならば、その方々には他の方と違う時間が流れています。時間の流れっていうのは、ほとんど体感や主観、考え方によって異なります。1秒1秒の価値が、2倍にも3倍にもなっていきます。

病気を抱えてなくても、大きなストレス、チャレンジングな出来事、近い人との死別などのイベントを通して、人生の価値観がガラッと変わることがあります。

人生の時間というのは、誰しも平等に流れていて、 全ての人が24時間という時間を授かってるいます。

睡眠で8時間、仕事で8時間、食事で3時間、その他移動や準備の時間を抜くと、自由に使える時間はわずかというようになります。

一般的なフルタイム労働者の場合です。

そこでなんとか時間を捻出しようと早起きを始めたりします。

 

Aging = 成熟

Agingは悪いことだけではなく、経験値が上り、 視野は広がり、考え方も成熟したりします。

まず、人生を逆算、計算、予測 できるようになります。

自分の最高到達点であったり、どのように人生を過ごしていくか(老いていくか)みたいなことを真剣に現実的に考えることができる年齢であります。

自身の現在地というものを客観的に分析できるし、時間軸がはっきり見えるようになってくるので、時として焦りと覚悟が心の底から湧き上がってくるわけなんですね。1日たりとも無駄にすることができないといった切迫した考えがふつふつと浮かんできたりします。

こういう思考が重なってくると、もう心を決めたような状態になります。

おそらく多くの方が、30、40代になってくると、私と同じようなことを考え、 ときにセンチメンタルな自己内省の時間を持って行くんだろうと思います。そして自分の時間というものの価値というものが、徐々に上がっていきます。

 

またもう一つ、加齢のアドバンテージがあるとすれば、経験による思考の蓄積だと思います。

時間とともに肉体は退化しますが、思考は進化します。

体力的にトップスピードで走れる30-40代をピークに、経年的に衰えていくのですが、経験はどんどん蓄積されてきます。

視野は広がり、思考は成熟していきます。

体力と経験の掛け算でできることは広がっていきますので、加齢は成長でもあるということです。

これが、例えば競技によりますが、肉体を使うスポーツ選手、アスリートなんかでは、30歳がピークだとも言われていますが、我々肉体労働系の医療従事者は40−50代のようにも思えます。

この掛け算を最大化させるためには、もちろん日々老いていく体のメンテナンスにある程度の時間を使っていく必要があります。

それこそ1時間や2時間ぐらいを日々の体のメンテナンスと維持、関節の柔軟性と筋力の総和の維持に努めようとすると、このサステイナブルな身体状態を維持するだけで、自身の余暇の時間がほとんどゼロになってしまうような、そういった生き方になっていくわけです。

加齢や変化に抗おうとする気持ちや努力は、素晴らしいものだと思います。

できるだけ長い物理的な時間を、高いパフォーマンスでもって生き抜いていこうとする推進力、健康的な食事をし、体を鍛えて、関節の可動域を広げていくというアンチエイジング的な試みは、非常に大事なことです。

 

このように老化に関する思考を回していった結論として、このカレーという現象は、成熟であり、老化であり、進化であるということです。

 

LOTUS  矢野

pagetop